2011年7月22日金曜日

「なでしこ」論

もちろん、日本代表の女子サッカーチームはすばらしい。本当に、言葉では言い尽くせないほど、感動した。感動のあまり、涙も出た。翌日はテレビのチャンネルをあちこち回しながら、彼女達のプレーを飽きずに何度も眺め、オヤジのようにスポーツ紙を買ってきては何度も感動を反芻した。それほど、彼女達の活躍はすばらしかった。

けれども、あの「なでしこ」という名はいただけない。誰もこの名に、ケチをつける人がいないので、あえて、言わせていただきたい。いまどき、大和なでしこであることを求めるのはアナログだ。清楚で、控えめに美しく、でしゃばらず、男を立てる従順な女性、それが大和なでしこのイメージで、それは今でも、日本の男性が描く理想の女性の姿なのだろう。けれど、もういい加減に女性にこのような陳腐なイメージを期待するのは止めてほしい。「サムライ」の男性軍団に対し、「なでしこ」の女性軍団。江戸時代じゃあるまいし、もういい加減、性による役割の分別は止めるべきだ。女性軍団こそ、最後の頂点まで、戦い続けたのだから。

実際、日本女子チームの選手達は、男性も顔負けの闘争心と精神力を持ち、その声は低く野太く、首相にさえ媚など微塵たりとも表さない潔さはあっぱれと言うほかない。彼女達の美しさは、嫋嫋たる姿にあるのではなく、その対極にあるたくましさにこそあるのだ。もしも、本当に大和なでしこのように振舞っていたら、今の栄光はなかったに違いない。

私の友人たち、それはすなわち私に近い年齢の人たちだが、このなでしこと言うネーミングに皆、違和感を持っている。若い人たちは、何で、ネーミング程度でブーイングをするのかと思うのかも知れないが、それは私たちの年代の女性達は、性による役割分担の期待を担わされた苦労をして来ているからだ。後輩達には同じ思いをして欲しくないのだ。

日本は変わらなければならないと皆が思っている。そして、「最後まであきらめない」ことが何をもたらすかを教えてくれた日本の女子サッカーチームは、確かに日本人、特に女性の意識を変えるのに、大きな役割を果たしてくれるに違いない。彼女達が、今まで同様、自由に、たくましく、好きな道を邁進し、世間のお門違いな期待に惑わされないことを望むばかりだ。