友人が、小学生の息子を、国会見学に連れて行ったところ、息子は、「学級崩壊みたいだね」と言ったそうだ。言いえて妙、子どものいうことは、時として大人も及ばない直感に溢れている。
子供の言うことに感心している場合ではない。国会中継を見れば、選良と言われる人びとのあまりの恥ずかしげのない態度に目を覆いたくなる。国民のお金であの席に座っているという自覚があるのかどうか知らないが、審議中にもかかわらず、絶え間なく野次を飛ばす人(しかも大勢)、居眠りをする人、あくびをする人、隣の議員と何やら楽しそうにおしゃべりする人、あるいは両肘を机についてほとんど突っ伏している人などなど。これが教室だったら、教師は絶望に駆られるに違いない。学級崩壊現象は、参議院でも一向に変わらない。参議院を良識の府だなんて持ち上げるのは、勘違いもはなはだしい。
大体、テレビで自分が映る危険があるのを承知しているのかいないのか、あるいは、自分の態度に問題があるとも思ってもいないのか、議員達のマナーの悪さ、緊張感のなさ、そして危険察知の鈍さには、驚くべきものがある。閣僚が失言すれば、ここぞとばかりに同僚議員を糾弾し、メディアでしたり顔にコメントを発したりしているが、自覚も自浄作用もない議員たちに、他を批判する資格があるのだろうか。こういうのを「目くそ鼻くそを笑う」と言うのだ。各政党は、まずは自党の議員たちに、最低限のマナーを「教育」し、くだらない失言など繰り返さないようにリスクマネジメントを徹底すべきだと思うのだが。
もちろん、本来だったら国民のリーダーたる議員たちに、さらなる教育など不要かも知れない。けれど、国会が学級崩壊状況なら、政治家は幼稚園の子供と同じだと割り切って、何らかの教育を施し、さらに見張り機関を作ることが必要なのではないだろうか。子供もあきれる国会の有様や、低次元の失言の繰り返しで政治が停滞することは、国民の一層の政治不信を引き起こし、結局は政党の支持率にも影響があるのだから。
議員教育に関しては、政党は企業を参考にしたらよい。企業、特に外資系企業は、リスクマネジメントにかなり気を遣っているからだ。たとえば、私が以前働いていた米系企業では、会社を代表する立場にある人たちに危機対応の仕方を徹底的に教え込んだ。メディアに扮したコンサルタントが執拗に繰り返すネガティブな質問に対して、感情を爆発させることなく、冷静に適切に対応できるように訓練するのだ。コンサルタントはビデオ録画を見ながら、決して口にしてはいけないことを理解させ、発言の仕方や、目線、表情や身のこなし方にいたるまで、細かく批評し改善方法を指摘する。この訓練は楽しいものではなかったが、自分の態度を意識し、客観的に見る癖を作るのには効果的だった。
見張り機間としては、メディアか、NPOにその役割を期待したところだ。たとえば、国会審議中に態度が悪い人たちを映像に撮り、ワーストランキングを作って、インターネットで映像発信し、常に国民の目に触れるような仕組みを作るのは、その気さえあれば、比較的容易ではないかと思う。不祥事を起こした相撲協会が、ベスト取り組みを発表するのと逆の仕組みではあるが、同じような抑止効果が期待されるのではないだろうか。
実は、幼稚園は永田町だけではなく、霞ヶ関にも存在する。少し前、福島の被災児童たちの質問に、きちんと答えられない役人を見て、ある子が「子供のいうことが分からない大人は、きっと子供の時にちゃんと勉強しなかったんだね」と言っていた。大人のように斟酌をしない分、子供たちのコメントは手厳しく辛らつだ。子供たちにあきれられないよう、そして彼らの尊敬を得られるよう、永田町や霞ヶ関の住人たちにはお手本となるような態度を取って欲しいと願うばかりだ。