2011年9月17日土曜日

どうにかしなきゃ、永田町の幼稚園


友人が、小学生の息子を、国会見学に連れて行ったところ、息子は、「学級崩壊みたいだね」と言ったそうだ。言いえて妙、子どものいうことは、時として大人も及ばない直感に溢れている。

子供の言うことに感心している場合ではない。国会中継を見れば、選良と言われる人びとのあまりの恥ずかしげのない態度に目を覆いたくなる。国民のお金であの席に座っているという自覚があるのかどうか知らないが、審議中にもかかわらず、絶え間なく野次を飛ばす人(しかも大勢)、居眠りをする人、あくびをする人、隣の議員と何やら楽しそうにおしゃべりする人、あるいは両肘を机についてほとんど突っ伏している人などなど。これが教室だったら、教師は絶望に駆られるに違いない。学級崩壊現象は、参議院でも一向に変わらない。参議院を良識の府だなんて持ち上げるのは、勘違いもはなはだしい。

大体、テレビで自分が映る危険があるのを承知しているのかいないのか、あるいは、自分の態度に問題があるとも思ってもいないのか、議員達のマナーの悪さ、緊張感のなさ、そして危険察知の鈍さには、驚くべきものがある。閣僚が失言すれば、ここぞとばかりに同僚議員を糾弾し、メディアでしたり顔にコメントを発したりしているが、自覚も自浄作用もない議員たちに、他を批判する資格があるのだろうか。こういうのを「目くそ鼻くそを笑う」と言うのだ。各政党は、まずは自党の議員たちに、最低限のマナーを「教育」し、くだらない失言など繰り返さないようにリスクマネジメントを徹底すべきだと思うのだが。

もちろん、本来だったら国民のリーダーたる議員たちに、さらなる教育など不要かも知れない。けれど、国会が学級崩壊状況なら、政治家は幼稚園の子供と同じだと割り切って、何らかの教育を施し、さらに見張り機関を作ることが必要なのではないだろうか。子供もあきれる国会の有様や、低次元の失言の繰り返しで政治が停滞することは、国民の一層の政治不信を引き起こし、結局は政党の支持率にも影響があるのだから。

議員教育に関しては、政党は企業を参考にしたらよい。企業、特に外資系企業は、リスクマネジメントにかなり気を遣っているからだ。たとえば、私が以前働いていた米系企業では、会社を代表する立場にある人たちに危機対応の仕方を徹底的に教え込んだ。メディアに扮したコンサルタントが執拗に繰り返すネガティブな質問に対して、感情を爆発させることなく、冷静に適切に対応できるように訓練するのだ。コンサルタントはビデオ録画を見ながら、決して口にしてはいけないことを理解させ、発言の仕方や、目線、表情や身のこなし方にいたるまで、細かく批評し改善方法を指摘する。この訓練は楽しいものではなかったが、自分の態度を意識し、客観的に見る癖を作るのには効果的だった。

見張り機間としては、メディアか、NPOにその役割を期待したところだ。たとえば、国会審議中に態度が悪い人たちを映像に撮り、ワーストランキングを作って、インターネットで映像発信し、常に国民の目に触れるような仕組みを作るのは、その気さえあれば、比較的容易ではないかと思う。不祥事を起こした相撲協会が、ベスト取り組みを発表するのと逆の仕組みではあるが、同じような抑止効果が期待されるのではないだろうか。

実は、幼稚園は永田町だけではなく、霞ヶ関にも存在する。少し前、福島の被災児童たちの質問に、きちんと答えられない役人を見て、ある子が「子供のいうことが分からない大人は、きっと子供の時にちゃんと勉強しなかったんだね」と言っていた。大人のように斟酌をしない分、子供たちのコメントは手厳しく辛らつだ。子供たちにあきれられないよう、そして彼らの尊敬を得られるよう、永田町や霞ヶ関の住人たちにはお手本となるような態度を取って欲しいと願うばかりだ。

2011年9月14日水曜日

「よそ者、ばか者、若者」たちの森の再生プロジェクト

兵庫の姫路から、智頭急行というなんとも趣き深いローカル鉄道に乗り換えて、山間地を北西に向かって走ること約二時間。岡山県とはいえ、鳥取県との境に近いところに、西粟倉村がある。森林率が70%近くに及ぶ日本の中でも、この村は特に森林率が高く、何と97%。つまり、ほとんどが森で、森しかないといってもよい村だ。人口1600人の西粟倉村は、ご他聞に漏れず、住民の高齢化と過疎、そして雇用問題に悩む村だ。けれども、この村は「平成の大合併」の嵐が吹き荒れた際も、小村として埋没するのをよしとせず、自立の道を選んだ。それは苦渋の選択だったに違いない。

この緑深い西粟倉村に、私が応援している森の学校という会社がある。森の学校は、親会社のトビムシが主に都市部の小口投資家から募った資金を基にしたファンドの支援を得て、村の行政や住民と連携しながら、「百年の森構想」を掲げ、森林再生から地域再生に取り組んでいる。マーケティングを重視したその取り組みは、戦略的かつ画期的だ。ちなみにトビムシというユニークな名は、土壌を豊かにする小さな地中生物に由来し、とびむしのように、縁の下の力もちになって、森を守っていきたいという心を表している。

ところで、日本の林業の問題の一つは、小規模所有の個人が多いことだ。しかも、所有者は代替わりして、その土地に関心を持っていないこともある。こういう状況は、森の手入れを困難にする。間伐をしない森は陽光を阻み、木の成長を妨げる。荒れるにまかせた森は、豪雨などが起これば土砂崩れを起こしやすく、崩れ出た土砂は海に流れ込み、生態系を破壊し、漁業にまで影響を与える。山と海に恵まれた日本ではあるが、森林をきちんと管理することが、その幸を得る前提なのだ。

話を西粟倉村に戻そう。村は小口森林所有者の同意を得て森をコモンズ化し、役場がまとめて管理する森林組合を作っている。森への集中投資の資金は国に頼らず、トビムシのファンドがその原資だ。道もない急峻な山の斜面は人のアクセスを拒むが、ファンドを元手にフィンランドから購入した巨大なハーベスター(伐採・収穫機械)などの高性能林業機械は、森林組合にレンタルされ、林道の造成、間伐材の伐採、山からの運搬に威力を発揮し、森の管理の効率化を実現している。そうして生産される間伐材にさまざまな付加価値を与えて、都市部に販売していく役割を担っているのが森の学校である。

森の学校は、切り出した木を加工して商品化するために、製材し木材として販売するだけでなく、外部のデザイナーとも連携し付加価値を高めた家具や木工品も制作している。廃校となった村の小学校の建物にある森の学校を訪ねてみると、モデル家屋や家具が木の香りを漂わし、昔懐かしいぬくもりを感じさせる。家具や木工品の質は、短い間に飛躍的に向上し、デザインに関わる人たちの意気を感じることができる。一方、間伐材を切り出した後の森は、確かな手入れを続けることで、百年後も質の良い木々の森となって後世に伝えることができる。森の学校のすばらしい点は、森を守り、この森しかない村を活性化するために、村一体で山の管理から木材の流通・販売、そしてまた山林への投資まで、循環する一連のサイクルを作ったことだ。

もちろん森の再生プロジェクトは雇用の創出にも大きく貢献している。1600人、550世帯だったこの小村に、70人を超える雇用を作り出し、全国からIターンの若者を引きつけている。中には、横浜市の区役所から移り住んできた公務員や、移住して起業した家具職人もいる。そしてその中心に森の学校の牧大介氏がいる。牧さんは、京都生まれで、京都大学の農学部を卒業し、農山漁村専門のコンサルタントをした後、クライアント先の一つである西粟倉村の森の再生に懸けることを決意した若者だ。もの静かな口調の牧さんではあるが、彼と話していると、並々ならぬ視野の広さと決意を感じることができる。昨夏、西粟倉村を訪ねた際、牧さんは、貴重な天然うなぎを捕獲して、自ら捌いて都会の訪問者たちにごちそうしてくれた。グニャグニャと動き回る肥えた天然うなぎと必死になって格闘する彼の姿に、都会の人に森のよさを知って欲しいと願う彼の真摯な心を見た。天然のうなぎがこの上なく美味だったことはもちろんだ。
                                                                                               
ところで、日本の地方を歩き回ってきた友人に言わせると、地方の活性化の数少ない成功例の裏には、かならず、「よそ者、ばか者、若者」の存在があるそうだ。差別用語のような言葉ではあるが、誤解は無用、これは最大級の褒め言葉なのだ。変革を起こすには、よそ者の持つ客観的で新しい視点、ものごとを簡単にはあきらめない愚直なまでの信念、そして、若者の持つエネルギーが絶対に必要であると言うことなのだ。実際、森の学校の社長の牧さんは、「よそ者、ばか者、若者」の典型であるし、彼の熱意と戦略に共感して移住してきた人たちも、また同様だ。こういう若者たちこそ、日本の再生の原動力になるのに違いない。彼らの作りあげた地域再生のモデルが、西粟倉村のみに留まらず、東北の復興や日本の地域再生のために応用されることを心から願っている。

森の再生に関心のある方は、この若者たちを応援してほしい。そして、森の学校が製作する家具や木工品もぜひご覧になってほしい。

森の学校  http://nishihour.jp/index.html