セレンディピティと言う言葉をご存知だろうか。これは、昨年、ノーベル化学賞を受賞された、根岸さんと鈴木さんのお二人が、それぞれ、異なる場で、若者達へのメッセージに用いた言葉だ。根岸さん、鈴木さんとも、研究が成功するにはセレンディピティが必要で、若者達にそれを身に着けて欲しいという文脈で発言をなさっていた。
セレンディピティという言葉は、あまり使われない言葉で、日本語訳もなく、よって、時の人である根岸さんや鈴木さんの発言にも関わらず、この言葉の真の意味を理解した人は少なかったのではないかと思われる。この言葉は、もともとはセイロンの王子が旅に出て、いろいろな偶然に遭遇し、そこから価値のあるものを発見していったという物語から、宝物、あるいは、大事なこと、価値あるものを見つけ出す能力のことを指す。セレンディピティとは、宝物そのものではなく、それを見つけ出す能力、聡明さのことなのだ。お二人が言いたかったことは、「果報は寝て待て」ということではない。待っているばかりでは、偶然の機会に出会うことすらできないから。
根岸、鈴木の両氏が言いたかったことは、内向き思考を捨て、積極的に行動し、その過程で、謙虚に大事なことを学び取る能力を磨き、一旦、大事なものを見つけた折には、それにしがみついて欲しいと言うことだと思う。セレンディピティは、研究者だけに重要な能力ではない。今、内向きと言われる日本の若者、いや社会全体が必要としている資質だ。
今、日本を見ると、国の格付けも、プレゼンスも低下し、皆が自信喪失になっているように見える。明治維新や、戦後の復興の過程を思い出しても、昔は、日本人も、セレンディピティに溢れていたように見えるのに、いまやその能力を失っているようだ。たとえば、ようやく、政権交代になったのに、国会の質疑応答を聞いていても、言葉尻を捉えての論戦ばかりで、本当に国民の将来にとって何が大事を論議するのに時間とエネルギーを費やしているようは見えない。企業も個人も、危険を避けて安定を求め、内向きになっている。本当に残念なことだ。
このような日本を変えるのに、セイロンの王子が旅に出て、大事なことを見つける能力を磨いたように、特に若者達は日本病ともいえる内向き病にかかることなく、地域のため、日本のため、世界のため、そしてまだまだ長い将来がある自身のため、目を外に向け、大きな視野で物事を見て、本当に大事なことを見つける能力を磨いて欲しいものだ。それでこそ、自由闊達で多様性を大事にする社会を作りあげることができると思う。セレンディピティの思想は今の時代のキーワードのように思える。