「・・この大震災を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。」これは、東日本大震災の後、3月16日に天皇陛下がビデオメッセージで、国民に発したお言葉だ。久しぶりに聞く雄々しいという言葉、いまや、あまり使われないこの言葉ほど、打ちひしがれた国民の心に染み渡る言葉を私は他に知らない。
ここの所、メディアでの報道を見るにつけても、涙が滂沱のごとく流れてくるのをなす術もない。日常性がかくもはかなく崩壊することへの悲しみ。でもそれだけではない。家族や財産を失い、劣悪な環境の中でも、必死に生きる人々や、わが身の危険も省みず、被災者救援や原発処理に当たる人々。日本人が、こんなにも勇気と共感力に溢れ、自分の役割への責任感と行動力を有する人々だったとは。私達は、自らを誇ってよい。そして、率先して那須の御用邸を被災者に提供し、計画停電の際は電気を止めてろうそくを灯し、人々と同じ不便を忍びながら、その安全安寧を祈る天皇陛下、皇后陛下の姿勢に、国の象徴という言葉が具体的に何を意味するか、はじめて実感した。
雄々しいグラスルーツに比べて、首相や政治家のなんと女々しいことか。この未曾有の危機に際して、一致団結とは程遠く、なおも懲りずに一身の保全に走り、将来のありようを語るべき時に、言い訳と揚げ足取りに終始し、汚い言葉で野次を飛ばす政治家たち。我欲に天罰を下されるべきはこの国の指導者たちだ。決して雄々しい国民たちではない。この国家の存亡の危機に、国民の琴線に触れる言葉を何一つ発することのできない政治家たちを見るに付けても、ひたすら雄々しい人々のために祈る天皇の存在は国民にとって大きな救いだ。