「女の着ぐるみを着た異星人」と呼ばれたのはリクルートの元社長。彼女は創業者の江副浩正氏が残した1兆8000億円の負債を自力で返済するために社内で大ナタをふるったそうだ。これは最近、日経に連載されていた「リクルートの子どもたち」というコラムに載っていたこと。この奇想天外なニックネームひとつで、自由闊達なリクルートの社風が伝わってくる。このコラムによるとリクルートでは、男女差別はなく、「女性社員」と言う言葉も存在しないそうだ。男女別なのはトイレだけとか。外資系企業では当たり前のこととは言え、日本企業では記事に載るくらいに当たり前ではないということか。それだけリクルートは日本の企業としては普通ではなく、女性が働きやすい会社であるということであろう。
このコラムが連載されていたちょうどその頃、安倍首相はアベノミクスの3本目の矢、成長戦略の中核として女性の活躍を挙げ、2020年までに指導的地位にいる女性が占める割合を30%にするという目標を語った。リクルートの人材活用術は、安倍首相が聞けば、大喜びしそうだ。ところが、そんなリクルートですら課長クラスの女性比率は18%。どうしたリクルートの女性陣、この数字は一体何なのだ。正社員の半分が女性社員という会社で、男女差別がないのなら、少なくとも半数近くの課長が女性であっても良いはずなのに。求めれば、管理職を手に入れられるだろうに、何をためらっているのだ。
この「笛吹けど、踊らず」状態はリクルートだけの問題ではなく、多くの企業が悩んでいる。制度を整備しても、なかなか、女性社員は踊ってくれない。問題は複雑なのはよくわかる。例えば女性のキャリアの軌跡が右肩上がりにならずに、出産・育児の為に働き盛りの真ん中で凹んでしまうという、日本特有のM字カーブ現象は企業の努力だけでは解決は難しい。待機児童を解消するのは喫緊の課題だが、聞き飽きるほど言われ続けている割にはなかなか実効が伴っていない(横浜市を例外として)。企業が社内育児所を作っても満員電車で子ども連れ出勤は厳しいものがあるだろう。安倍首相の提案する三年育休は、結局は女性のみを育児に縛り付け、男女分業を強化してしまうかもしれない。男性の育児休暇取得率が上がったとは言え、いまだにほんの3%未満。夫がイクメンとなる可能性は高いとは言えない。安倍首相がいくら女性の活躍を望んでも、実際の所、日本のダイバーシティ・ギャップは国際比較で低下を続けている。
女性たちが管理職や指導的立場を求めないのは、彼女たちの経済合理性にそぐわないからに違いない。男性的風土のなかで、あんなに働かされるのなら、無理して管理職にならなくてもね〜、というような意識が透けて見える。あるいは横並び主義が跋扈する日本で、他と異なることをリスクと見て、あえて手を挙げないのかも知れない。飛ぶのが怖い所にもってきて、お手本とする先輩もいまだに少ないままなのだろう。
けれども政府や企業が、彼らの経済合理性により、女性のよりいっそうの活躍を求めている今、最後の鍵を握っているのは女性たち自身だ。女性たちには強力な追い風が吹いているのだから。もちろん、制度的に不備な面もたくさんあるだろう。けれど彼女たちにもっとも足りないものは、気づきではないだろうか。大きなことに挑戦することは本人を成長させ、将来を拓き、結局は本人にとっても合理的だという気づき。責任を持つことはやりがいのあることで、何よりも意思決定のプロセスに女性が参加するのは当たり前のことであるという気づき。もしそういう気づきがあれば、それは行動に繋がる。
どうしたら、女性がその気づきを得て、意識を変えることができるのだろうか。それは今の日本の中よりも、日本の外に出た方が、容易に得られるような気がする。多くの企業がグローバル化を目指し、外国に拠点を設けている今、女性社員を海外に派遣するのはそんなに難しいことではないだろう。もし、日本の女性が、外国の女性たちのやる気を見たら、それは彼女たちの目から鱗を落とし、何らかの気づきを与えるのに違いない。欧米のみならず、アジア諸国の女性たちは強い上昇志向を持ち、野心満々で、何にも臆することがない。そういう環境に女性を送り込み、彼女たちに意識変化の先兵になってもらうのは、結局は変化を起こす早道ではないだろうか。