あるイクメンの話を紹介したい。彼は、米系の金融機関で私の担当をしてくれている若きプロフェッショナル。実は初めて会った時、私はかなり機嫌が悪く、あまり口をきく気もなく押し黙っていた。それというのも、この会社は担当を頻繁に変えるので、また担当変え?といささかムッとしていたのだ。もちろん彼の責任ではないのだが。
その時、目についたのが、机の脇に置いてある3人の小さな子どもたちの写真。「あなたのお子様たち?」という質問から、ようやく会話は少しずつ動きだす。今どき3人も子どもがいるのは珍しいと興味をそそられた私は、ずうずうしくも根掘り葉掘り彼を質問攻めにすることに。
「お子様たち、おいくつ?」
「上は6歳、下は2歳の双子です。」
「奥様がお家で育児をなさっていらっしゃるの?」
「いや、妻もずっと働いています。」
「それじゃ、近くにご実家がおありなの?」
「いや、両方とも遠いので、とても頼れません。」
「それじゃ、昼間はどなたが面倒を見ていらっしゃるの?」
「3人とも保育園に行っています。」
「へ〜え、どうやって連れて行くの?」
「朝はボクがチャリンコの前と後ろに双子を乗せて、長男は脇を走らせて、近くの保育園まで連れて行くんです。帰りもボクが迎えに行きます。妻は仕事から帰って食事の担当です。大変だけど、子どもと一緒にいるのは楽しいです。この間も親子5人でグアムに行きました。」
「すごいわねえ、余裕ねえ。でも、会社を定時に出るのは大変じゃない?」
「いや、全然問題ないです。いつも5時半には出られます。実はボクは以前に日本の金融機関にいたのですが、そこではあり得なかったことですけれど。」
「日本の会社にいらした時は、定時には帰れなかった?」
「まず無理ですね。仕事量が多かった上に、上司がまだ席にいれば、先に帰るのは難しい雰囲気でしたし。残業が当たり前でしたね。」
「それにしても2人とも働きながら3人も子育てをするのは偉い!でも、もう一人、女の子がいたら良いわねえ?」
「いやいや・・・・・」
彼の話を聞きながら、すっかり嬉しくなっておしゃべりになった私。最後にはまったく余計なお世話的おばさん発言まで飛び出し、不機嫌もどこかに吹っ飛んでしまっていた。そして、自分の経験を思い出していた。そう、長年、複数の外資系企業で働いて来たけれど、残業が常態化したことは一度もなかった。そんなことをしても、誰も評価してはくれない。年休は貯めずに消化するように、毎年会社からお達しがあった。上司が長期休暇を取るので、部下も休みを取るのに何の遠慮もない。休みの間は誰か(部下や同僚)に権限委譲するので、大事な会議があったとしても問題なし。自己犠牲を強いる精神論が飛び出すことなども全くなし。個人の生活を大切にするのは、当然のことなのだ。
少子化に歯止めをかけようと政府は必死だ。でも、育休の延長とか期間限定的な対策を講じるよりも、個人と会社の関わり方をより本質的に変える方法を模索する方がより大切なのではないだろうか。つまり、男も女も、個人生活を犠牲にせずに働くことを可能にする環境を整備する対策だ。そうすれば、イクメン願望を持つ男性たちは、堂々とイクメンに変身できる。そして、女性も安心して出産できる。
しかしながら、この問題は深く考えれば考えるほど、いろいろな問題が絡み合っているのが見えてくる。どうして日本の企業で、「滅私奉公」的な働き方がまかり通るのかと言えば、その根本には、終身雇用の代償として個人の犠牲は仕方ないとする意識があると言える。転職しようとしても、「新卒重視」で労働の流動性が低いから、簡単にはいかない。残業の多さは、日本のホワイトカラーの生産性の低さと結びついている。
このように考えてくると、イクメン増産には、制度整備はもちろんだが、なによりも企業と働く者、双方の意識の変化が必要だ。でも、私の担当のイクメン君が身を以て体験したように、違う働き方があるのだと言うことを知った人たちは、もう、昔の働き方に戻ることは決してないだろう。そういう人たちが増えていけば、企業だって変わっていかざるを得ない。そして政府がするべきことは、普通に働く人が普通に子育てをすることが出来るように、ありとあらゆる対策を講じ、若い人たちの味方になってあげることだ。